【環境について】
今わたくしの身の周りにあるものは、すべてわたくしが用意したものである。物であれ、物理的心的に近い人であれ、感情であれ。みかんを真横に切って、その断面を見る。真ん中の空にわたくしがいて、その周囲に、みかんの房の一つ一つが、隙間なく寄り添って、見事に膨らんでいる。房はどれもをわたくしが育て、ここまで実らせた。それがわたくしのいる現実であり、わたくしを取り巻く環境である。これは完璧な自己責任の問題であり、同時にそこに他の存在と比べる余地はない。確認した断面は瞬間に消え、また次の確認時には別の断面が現れるだろう。どの断面が現れるかは、わたくしがわたくしに対して何を育てるかで決まってくる。物であれ、近しい人であれ、感情であれ、すべてのエネルギーがわたくしの意図通りに、意図したやわらかさで現実化する。物は確実性が高く=ある程度硬いし、感情や、一般的にエネルギーと呼ばれているものはやわらかいが、すべての対象は現実においてその両方の性質を兼ね備えており、断面への現れ方(わたくしの対象への把握の仕方)でやわらかさが変化する。例えばお金というエネルギーも、わたくしにとって所有面が強くなれば硬く、循環面が現れていればやわらかくなる。断面に現れる対象には善悪がなく、ただ瞬間に断面化した現実が確認できるだけである。エネルギーを硬くする=固定させるのは、常にわたくしの選んでいる固定観念(わたくしの安全を維持しようとする力)による。次の断面を変容させるのもさせないのも、わたくし次第なのであり、変容させられないエネルギーというものは、厳密には存在しない。

(2021.6.12)