【長野の皆さまへ】






【長野の皆さまへ】


2019.3.9


こんにちは。
ご無沙汰しています、、って書きはじめたけど、どのくらいの方に読んでいただけるか、自信ない。。
でも書きます。


2017年に真奈美さんが長野に途中加入して以来、昨2018シーズンまで、くっついていった私も大変お世話になりました。


真奈美さんの長野での復帰が決まって、これまでの所属先と同じように、横断幕を勝手に作ってはみたものの、どうしていいか戸惑っていたとき、そのツイートに、長野の応援団の方に反応していただきました。初めて長野Uスタジアムで横断幕をはらせていただいた(というより預かっていただいて、はっていただいた)とき、そのはられた幕を写真に撮ってツイッターのDMで送っていただいたのを入場列で見たときの嬉しい気持ち、とても安心して泣きそうになった気持ち、今でもよく覚えています。
未だに実は、横断幕を預かっていただいたままになっていますが、それを引き取るとき、本当に長野を離れた、ということを実感するんだろうと思います。
いつどこに行っても、場所に余裕のあるかぎり、横断幕を出していただき、本当にありがとうございました。私は声出し応援をできるだけの体力がなく、応援の役にはまったく立ちませんでしたが、幕はりや片付けをご一緒させていただくのも嬉しかったです。一緒に幕をたたんでくださった皆さまにもお礼申し上げます。
昨年、真奈美さんがお弁当担当のときに、コルリが一般入場前に買ってきてくださった、テンションMAX弁当のことも一生忘れません!!笑
譲っていただいたり、交換していただいたりした真奈美さんグッズも、ずっときっと私とともに暮らしてくれると思います。


以下、少しの間、暗い話になりますが。
私にとっての長野のことを、とても大事なことなので、以前も断片的には書いたことがありますが、改めてここで書いておきます。
重い話がお好きでない方は、適当に読み飛ばしてください。


長野は、幼い頃に別れた実の父の故郷でした。
といっても、長野に本人がいたのは小学校から高校まで、父にとって最も幸せな時期であったようです。
長く東京で暮らしており、少し珍しい形で孤独死したため、また子どもが私一人しかいなかったため、死亡の連絡が電報で届いて、翌日警察に行き、それからは仕事をしながら、そのための対応に追われました。
木乃伊化していた父をとりあえず荼毘に付し、ゴミ屋敷になっていた自宅を、大家さんに急かされていたので業者さんに手伝ってもらって、ひと月近くかけて何とか原状回復し、数カ月後、長野で父の兄弟に手伝ってもらってお葬式をあげ、教会の共同墓に入れていただきました。
父の高校時代の親友という方が、長野に行く機会があったときに声をかけてくださって、いちばん幸せだった頃の父の話を聞かせてくれました。その頃からあるのだという地元の喫茶店にも連れて行ってくださいました。父の職場でも少しお話を伺ううちに、父がお世話になったのであろう方々を調べてお招きして、父の様々な時代の生前の様子について、いいことも悪いことも聞かせていただこうと思い(私はほとんど父のことを知らず、この機会を逃したらもう手がかりがなくなると思ったので)、同時に生前の父の御礼をさせていただく会を、東京で開きました。たくさんの方がいらしてくださり、私に父のことをいろいろな言葉で伝えてくださいました。
この間、言われてみれば常識的には奇妙なこともたくさん起こり、私のつたない頭では処理が追いつかない状態だったのでしょう、もう後は、占拠していたという複数の研究室内にあった、ダンボール数百箱に及ぶ膨大な遺品の山の仕分けを終えるだけ、という時期に、知らないうちに発病していました。


父の職場だった大学の片隅の、使われていない山岳部の部室に、父の遺品が(半分以上がゴミです笑)ダンボールに入った状態で入口まで積まれており、そこに何度通ったか忘れた頃、その日も変わらず中身を一人で仕分けしているときでした。
遠くにある、向かいの建物の屋上から、宮崎駿さんのアニメ映画「天空の城ラピュタ」で、主人公のパズーが鳩たちに吹いてあげていた、トランペットの曲が流れてきました。
大好きな曲でしたし、すごく素朴な音色だった。生で聴いたの、初めてでした。
本当に、現実世界で、この曲が、自分のいる空気の中で鳴ってるなんて。
でも、そのとき、私の中で、静かに何かが壊れました。
分かったけれど、何も施せなかった。
私は、普通の世界とは異なる、リニアに存在する?別の次元に入り込んでいきました。
家族が私の異変に気づくのにそれから数カ月〜半年、自分が病識を持つまでには一年近くかかりました。


発病してからも、何度か衝動的に長野に一人でお墓参りに行ったり、父の高校時代の親友の方が亡くなるまでは励ましていただいていました。
大学に、部室を壊したいので荷物を移動させてほしいと急かされて、発病前ぎりぎりにトランクルームに移した父の遺品も、妄想がひどいなか、母や当時の同居人が手伝ってくれて、最後まで整理しきりましたが、その後、本格的な治療に入ってからは、長野へ行く気力が失われたままになっていました。


それから何年も経って。女子サッカーを、真奈美さんを好きになって。


真奈美さんの復帰先が長野であったということは、最初は、私にとっては単なる偶然でした。湯郷でお世話になった本田監督のもとだから、というのが私が想像した理由で、それ以上のことは何も。
真奈美さんがどういう想いでお休みすることになったか、また復帰することになったかも、知るすべもなく。
ただ、真奈美さんがお休み期間を含んだ2017年は、私が女子サッカーの応援を始めてから、初めて「その年の真奈美さんのすべての試合を観戦に行く」と決めた年でした。
長野は、上記のような縁のある土地でしたが、土地自体に悪いイメージは全くありませんでした。
なので、真奈美さんが復帰した後も、私は試合の観戦に行きつづけました。
偶然にも、その年の後半戦は、長野のホームでの試合が多く、かつて一度皇后杯で訪れて以来、憧れだった長野Uスタジアムには、結局、それまでの他のどのスタジアムよりも多く通う結果となりました。
Uスタは、座席に余裕があって、隣に人が座るのがしんどかったその頃の私でも、楽な気持ちで観戦ができました。いつ行っても用意されている美味しいスタジアムグルメにしても、きれいに整備されたトイレにしても、スタジアム行き帰りのシャトルバスにしても、これまで行ったどのスタジアムよりも、私にとっては、遠征自体の精神的・身体的な負担が軽く感じられました。実際の距離的にも、それまでのチームより近かった。だからこそ、最後まで通い切れたのだろうと思います。
Uスタでの応援の雰囲気も、きっと大きかったでしょう。いつもだいたいバックスタンドの中央寄りにいましたが、メインスタンドからゴール裏、バックスタンドにかけてスタジアムを包み込むような応援は、女子の他のスタジアムではなかなか味わえないもので、この応援が自分にとってのホームのものであるということが(アウェイで来ていたときには毎度完全に圧倒されていました)、本当に心強かったです。自分が世界に一人きりではないこと、人と呼応するという、発病後失われていた人間としての機能が、この応援が身体にしみこむうちに、少しずつ回復されていっていたと思います。
そして、行くとそこにいつも真奈美さんと、長野のチームの皆さんがいた。
一生懸命、見守っているつもりで、こうして思い起こすと、全然応援なんかできてないですね。ただ助けてもらっていただけ。


長野に何度も行くうちに、遠征中の電車で、ほっとして、終いには眠くなっている自分がいるのに気づきました。
それまでは、基本、電車等での移動中は、緊張で冷や汗が流れていることが多かったのです。
女子サッカーで遠征に行くようになってからは、移動だけで消耗していたこともずいぶんありました。
真奈美さんのプレーが観られるというご褒美が、その消耗にまさっていたから、遠征に出かけられたわけなのですが。


長野への遠征のうち、数度は、父へのお墓参りも一緒にしました。
最初は妄想で父に苦言を呈されて強いダメージを受けましたが、それが、いつしか和解に至りました。
父の親友が連れて行ってくれた喫茶店を探し当て、何度か伺い、その方との優しいお話を思い出している時間も、私の壊れた部分をそっと少しずつ治してくれていたと思います。
これは、父の意向を確認するすべがなかった私にとって、とても大きな出来事でした。
心の、何か、直接は決して触れないようなところにできてしまっていた傷が、自然と癒えていったと言ったらいいのか。
ここで私は、大幅に病気からの、思ってもいなかった回復を遂げました。


よく分からないのですが、多分、これが成し得たのは、長野に行って帰る、という、ひたすらその土地への往復を繰り返したことによるのではないかと思っています。
これは、真奈美さんが、長野で復帰してくださったからこそ、訪れた機会でした。自分自身では作れなかった、もしくは自分の意思で訪れたのであれば、ここまで早く、父との和解には至らなかったのではないかと思います。


篠ノ井の神さま、おしのさんにも、もしかしたら助けてもらっていたのでしょうか。
あのような形で土地の神さまとともに暮らすやり方をとても素敵だと思っているので、長野を離れたのち、スタッフさんに遠くても会員のままでよいと言っていただいたこともあって、これからも応援したいと思っています。
また、長野の応援拠点と知った、橙宴さんでの美味しい食事やマスターのお心遣い、ネット通販でのやりとりをさせていただいたパルセイロのリバーフロントのスタッフの方々、応援団やサポーターの皆さんにも、あたたかいやりとりで心を助けていただきました。


私にとっては運命とさえ言える、この長野での期間と、私に関わってくださった長野の方々には、本当に感謝しかありません。
真奈美さんに対しては、ただ見守る以外、相変わらずなんにもできなかったですが、真奈美さんはご自分では全く意図しなかったところで、私にとって他の誰にもできない贈り物をくださいました。
今考えると、私はその期間に、自分の魂において必要な仕事をおそらくこなすことができた。
神さまと、真奈美さんにも、本当に、こんな言葉では言い切れないほど、感謝しています。


はたと。
長野の皆さんには、何かを書きたい、と思っていたのは確かなのですが、自分のことを、または病因などを、ここまで詳らかに書く、ということ自体、ちょっと今の暖かい陽気に左右されている可能性があります。
もし嫌な気分になられた方がいらしたら、申し訳ありません。
個人的な部分は、おそらくこのサイト内ではもう書かなくてすむと思います。
長野への遠征はどれも、こういう理由で、私にとって重要なものでした。
そのことへの感謝の気持ちさえ伝われば、他はどうでもよいです。


ちなみに、今、昨年の暮れに長野の方々にいただいた、長野での遠征時の御守りになるはずだった地元のお菓子、みすず飴とオブセ牛乳キャラメルを食べながら書いています。


長野を離れることになって、2カ月ほどになりますが、何がつらいって、ツイッターのタイムラインで、橙宴さんの、私の食べたことのない美味しそうなメニューが、次から次へと流れていくのがつらい!!笑
ちくしょ〜! 食べたい!!笑笑


もうお前に食べさせるものはない! と言われてしまうかもしれませんが、長野で時間に余裕があるときは、また橙宴さんでお食事をいただきたいです。お店に行けないときでも、バックスタンドに、揚げたて唐揚げ、いただきに行きます!


長野ではよく旅行記を書きました。
大切な思い出ばかりです。
どれも、書き残せて私は幸せでした。
良い経験、貴重で面白い経験をたくさんさせていただき、本当にありがとうございました。


皆さんの長野での思い出が、「長野らしさを追求する」とお決めになられた様子のチームとともに、ますます素晴らしい、素敵なものになっていきますように。
単なる他人事ではなく、そのことについては全く心配していません。
長野のよいところを、訪れた際に今までよりもさらに感じられるのを、楽しみにしています。


今、私は、普段の日に練習見学にさえ行ける距離で、真奈美さんとノジマステラのチームの皆さんにエネルギーをいただきながら、女子サッカーについてより深く楽しく知る機会を得たと感じています。
また、神さまと真奈美さんに感謝。。
相変わらずできることは少ないかもしれませんが、今の私にできることを考えながら、そっと女子サッカーのそばで過ごしたいと思っています。
心が不器用なので、複数のチームを応援できないこと、どうぞお許しください。


またお目にかかれるときまで、皆さま、お元気でいらしてください。


追伸:冒頭の写真は、篠ノ井のホテルオリンピア長野のエレベーターの中に昨年はってあったポスターの一部です。



mymula